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2021年9月 1日 (水)

No.279 :往時茫々 昭和・平成・令和を生きて (17)

23. 軍用機オタクの少年

  老生は今年、92歳になりましたが、戦時下には12から16歳でした。この位の年齢だと、新聞雑誌の類は読みますし、大人の話も理解します。その上、軍用機・軍艦などの兵器に関わる知識・情報は一般の軍人よりも豊富でした。当時は  「 航空朝日 」 「 飛行少年 」 「 海と空 」  「 機械化 」  などと銘打った軍事科学雑誌が10種ぐらいも発行されていたのです。老生ら、理系の軍国少年は貪るように読んで知識を得て、仲間に披露しあったのです。
  戦後、80年近くも幸いに平和が続いていますが、毎年8月ななると、戦時の回想記や論評が登場します。それらの筆者は、殆どが老生よりはかなり若い方が多いようです。それですから、ご自身の直接の体験では無く、記録を調べたり経験者にインタービューしたりして纏めた記事が殆どです。また、敢えて苦言を呈すると軍事技術についての知識が甘い、と感じる記事も散見します。
  本稿はその欠落を幾らかでも補いたいとの意図で記します。

1)  軍用機の用途と名称

      一口に、軍用機と云っても、種々の用途が有り、それに対応した名称が有ります。また、細かく云うと国により、あるいは陸軍・海軍によって種々の名称が有ります。とは云うものの、一般には、" 戦闘機 " 、" 爆撃機 " 、" 偵察機 "  と大別します。
  " 戦闘機 "  とは、相手の軍用機を空戦により撃墜する機種です。" 爆撃機 "  とは相手の軍事施設などに爆弾を投下して破壊する機種です。" 偵察機 "  とは、敵情を調査・観察して味方に報告する機種です。
さらに、海空軍では " 雷撃機 "  という機種が有ります、これは魚形水雷を以て艦船を攻撃します。また、爆弾・魚雷のどちらでも搭載できる機種を " 攻撃機 "  と云います.
    日独あるいは米英とも、大枠としては、上記の分類に依りました。その上に軍用機としての型式名称・番号
を付与します。  
  ところが、数多い回想記や論評の筆者の中には、この機種名称について充分な知識を持たぬ方を散見します。「 戦闘機の爆弾を受けた 」「 爆撃機の機銃掃射を受けた 」  などという文章を何度か見ました。この種の記述は、筆者の無知を露呈しています。一般に戦闘機は爆弾を積みませんし、爆撃機で機銃掃射などの低空からの攻撃は行いません。( 戦闘機でも小型爆弾を搭載できる機種が有りますし、小型の爆撃機では爆弾投下の際に " 行きがけの駄賃 " とばかり機銃掃射を行うケースが有りますが、これは逆に相当詳しい方でないと実態を知りません。)     
   たいていの方は、戦闘機といえば、日本海軍の  " 零戦 "   と米海軍の  " グラマン F6F "  、爆撃機といえば米軍の  " ボーイング B29 "   を知っている程度ではないでしょうか?   実戦に投入された軍用機の型式名称は多種多様なのですが。

2)  軍用機オタクが感銘を受けたトピック 

2-1 中日戦の於ける渡洋爆撃 
   1937年に始まった日中戦争の初期、九州や台湾などの基地から出撃してシナの要地を爆撃した事が有ります。
それには東シナ海を超えて長大な距離を往復できる機体と、洋上航法に熟達した操縦士らが必須です。この条件を満たすのは、海軍の  " 96式式陸上攻撃機とその乗員"   でした。
   その壮挙が新聞に公表された時、全国民は熱狂しましたが、特に軍用機オタクのメンバーは狂喜しました。それは初めて新聞紙上の写し出された  " 96式陸上攻撃機 "   なスマートな雄姿でした。

            96

上図のように流線形の胴体は   " 魚雷型 "   と云われ、主翼は伸び伸びとした直線テーパー形、垂直尾翼は2枚という特徴を有する名機でした。英国筋では「双舵の美女」と評したと伝えられます。
   この機体が発表されるまで、日本の軍用機は世界水準から遅れているのではないかと、多くの飛行機マニア、軍用機オタクの人々は思い込んでいたのです。軍部が秘密主義をとっていた故か、公表される機体は旧態依然とした複葉機や不格好な形の単葉機ばかり
でした。航空雑誌に掲載される海外の新鋭機に比して見劣りがしました。そのコンプレックスを一挙に払拭したのが、この機体でした。
   96式陸上攻撃機は優秀な機体でしたが、後尾銃座が無いので後方からの攻撃に弱い、防弾装備が不備である、との指摘も有りました。それ故、当時としては高速で有ったにも拘わらず、空戦での被害は予想よりも多かったと戦記は記しています。
   この機は1939年に毎日新聞社に提供され、「 ニッポン号 」 と名付けられ、世界一周の飛行を敢行しました。自動操縦装置・無線帰投装置など当時の最新鋭の電子航法機器を装備して安定した飛行を遂行しました、( 未だ、レーダーは出現していませんでした。) 航路は 北米→南米→欧州 の予定でしたが、折悪しく欧州で戦乱が勃発したので、途中で中止せざるを得ませんでした。   
   米国において、この機を見た某高官は 「 極東の小島国に棲む黄色人種が独力で、このような機体をビス (螺子) 1本から創り上げるとは、恐るべき民族だ 」 
と驚嘆したそうです。( 白色人種には、自分らは優秀人種であるが、有色人種は劣等人種であるとの偏見が今でも残っています。) 

        なお、96式陸上攻撃機は、1941年に開戦した大東亜戦争  ( 太平洋戦争 )  の初期、マレー沖海戦に於いて、英東洋艦隊の2戦艦を撃沈する偉功を立てた後に第一線機から引退しました。

2-2   「 神風 」 の欧亜間飛行
   1937年に朝日新聞社の高速連絡機「 神風 」は東京・パリ間を100時間以内で翔破する壮挙を成し遂げました。当時、フランス空軍省は、パリー東京 間の100時間以内の飛行記録に懸賞金を提示しました。現在なら、ノンストップで12~15時間の飛行ですが、当時は数日を要しました。その頃の飛行機では途中で給油・整備の必要が有り、10ヶ所ぐらいで着陸・離陸したのです。
   朝日新聞社は陸軍の  " 司令部偵察機 キ-15 "   の提供を得て、このコンペに参入したのです。実は既に、高名な欧米の飛行家が何人かが挑戦したのですが、不成功でした。
朝日新聞社は操縦者に飯沼正明、機関士に塚越賢璽の両氏を配し、見事に成功を収めました。10ヶ所を経由しましたが、全所要時間は94時間余、実飛行時間は51時間余という素晴らしい記録でした。

     Oip
   この  "キ-15"  は司令部偵察機という機種で、戦闘機より速く、双発爆撃機なみの航続力を持つ。という画期的な設計思想の下に開発されました。最高速度 480 km/h,  航続距離 2400 km,   というデーターは高性能を如実に語ります。敵地の奥深くに飛行して敵情を探り、迎撃されれば高速を利して離脱するわけです。防戦のための機銃さえ持ちませんでした。なお、制式化されてからは  " 97式司令部偵察機 "   と呼称しました。
   神風号の塗装は某工業デザイナーの手によるそうです。今日、羽田空港などで見かけたとしても、違和感をもたない程の出来栄えです。
                < 未 完 >



 

 


     


  

 

 

 

 

                   

 

 

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