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2021年9月22日 (水)

No. 281 :往時茫々・ 昭和・平成・令和を生きて (19)

「 洋食のマナー 」

   なんとも大時代な表題で、諸氏の失笑を誘うことと思います。しかし、1960年代ぐらいまでの世相では、社会の中堅層でさえも、かなりシリアスな問題でした。ホテルや一流レストランなどでの会食や宴会に出席して、正しいマナーで振舞う、というのは相当なプレッシュアーであったのです。
正装したボーイが背後に控えている中で、ナイフとフオークを巧みに使い分け、左右の列席者と会話を交わしながら、タイミングを合わせて食事を楽しむような経験を持つ人は少なかったのです。
   その頃は、国際レベルのホテルやレストラン々は極めて少なく、フルコースの洋食を知らない人は、
かなり居たのです。以前にも、このブログに書きましたが、1970年に或る調査団の一員として渡米した折、出発前の研修会で、テーブル・マナーやホテル・マナーを仕込まれました。調査団のメンバーは一流企業の管理職クラスの方々でしたが、それでもこんな研修をしたのは、マナーに疎い人も中には居ると見たのでしょう。実際にも、研修中に 「 七面倒くさいな、俺は行きたくない 」   とボヤいた方も数人は居ました。

   和洋折衷と云うべきか、「 カツ・ライス 」 「 海老フライ・ライス 」   などというメニューがデパートの食堂などで流行った時期が有りました。豚カツまたは海老フライにキャベツの千切りを添えた一皿と米飯の一皿をセットにした料理です。食器としてナイフとフォークが付いて来ますが、箸は有りません。これで、米飯をどうして食べるか、というとフオークの丸い背中の上にナイフを使って米飯を盛り上げてから口に運ぶのです。この時、洋食のルールに従って、フオークは左手、ナイフは右手です。
   これは、何んとも不自然な馬鹿々々しい手法です。フオークに米飯を盛るならば、丸み下にして、スプーンのように使う方が自然で、ナイフで盛り付けなくても済みます。ところが、周囲を見ても、誰一人、そのような人はいませんでした。フオークは丸い背中を上にして使うべきで、それを下にするのはマナー違反なのでしょうか? これは、老生が子供の時からの疑問です。
序に書けば 「 お子様ランチ 」  には、スプーンが付いて来ます。これはスープ用でしょうが、子供は、これで米飯も食べていました。
   ある毒舌で有名なノンフイクション作家は、このようなケースに際し、堂々と 「 箸 !! 」  と要求したそうです。「 箸は有りません 」  との返答を受けると、料理長を相手に「 日本人の客が米飯を食するのに箸の備えが無いとは怪しからん 」  と説教したそうです。これがキッカケになったのか、現在では、殆どの洋食店が箸を備えているようです。

   蛇足を書きますと、フルコースなどを食べるに際し、食器の扱いに不手際があると、ボーイなどから「 マナーを知らない人 」 と軽蔑されるのではないか?  という過剰な被害妄想を持つ人が、戦前には少なく無かったっようです。老生が旧制の中学に入学した時、英語の教員からテーブル・マナーの話を聞きました。その中で、先生仲間でもテーブル・マナー恐怖症の方が居るような話がありました。その時、殆どの生徒は別世界の話と受け取ったものでした。1940年代には、子弟を中学校入れる家庭は中産階級に属していた筈ですが、それでも洋食のテーブル・マナーを子供に教える機会は少なかったのです。

   ここまで書いてきて、思い出しました。それは旧帝国海軍には立派な  " 料理の教科書 "   が存在し、その中には、洋食・ ケーキ ( 洋菓子 ) からテーブル・マナーに至るまでの詳細な記述が在ったという事跡です。その復刻・紹介 本を手にし読んだ記憶も有ります。今、改めてネットを探ると果せるかな、数種の紹介書が刊行されていました。また、舞鶴市には原本が保管されている事も知りました。

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  上記の書物には、" ビーフ シチュー "  ・ " チキンライス "   などの主餐から  " プリン " ・ " ワッフル " ・ " アイスクリーム "  などのデザートに至る詳細な調理この法が記載されているそうです。このテキストは 1908年 ( 明治41年 ) に刊行されたそうです。日本の海軍は英国海軍をモデルに創設しましたから、料理からマナーまでも学んだのでしょう。なお、タイトルが 「・・・割烹術 」  としてあるのも時代を感じます。
         戦前の日本は徴兵制度を採っていましたから、成年に達した男子は2年間の兵役に就きました。近代の文化生活に接する機会の無かったような地方育ちの若者が、科学の粋を集めた軍艦に乗り組み、複雑な武器・機械を操作し、見たこともない洋食を摂る、という事は「 目が眩む 」ようなカルチュア・ショックであったでしょう。

             < 以下 次号 >

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