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2021年10月27日 (水)

No.284 : 往時茫々 昭和・平成・令和を生きて (22)

「 続・ " 知的生産の技術 "  が ブームになった時代 」

   梅棹忠夫 教授が上記書を著した時期に前後して、類似・関係テーマの書物が数種以上出版されました。その中で出色の作は、川喜田二郎 教授の 「 発想法 」 と 野口悠紀雄 教授の 「 超整理法 」 だろうと老生は思います。

   「 発想法 」 は、前記した京大カードの変形だと老生は理解しています。例えば、ある問題を数人で検討する際に、各人が着想や関連情報・対応策などを小紙片に簡明に書き、それを机上或いは床上にランダムに配置します。そうしてメンバーは、それを眺めて関係の深い紙片を纏めたり、新しいアイデイアの紙片を追加したりします。議論をしながら、その作業を重ねて行くと、問題の本質が明瞭になり、自然に対応策も集約される、という手法です。
   この手法は 「 KJ 法 」 として、広く普及しましたようですが、生産企業などでは試行に止まったようです。老生の独断と偏見では、この手法は 「 何が問題か? 」 と云う命題には有効でしょうが、生産会社の現場では、問題は概ね明らかであって、「 如何にして問題を解決するか? 」 という具体策が早急に求められ,その様な要求に対しては 「 KJ 法 」 は迂遠に感じる方々も居たのでしょう。

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   「 超整理法 」 は、収集した多くの資料を如何に整理するか、検索の効率を如何に高めるか、を主にしていると感じます。野口教授の手法は、収集した資料をA4版の封筒に収め、その表に資料名称と日付を明記した上で、日付の順にスチール棚に収納する、という事です。左側には最も新しい資料が、右側には最も旧い資料が並ぶわけです。そうして、必要に応じて取り出した封筒は、用済み後は最も左側に入れます。
これを繰り返すと、自然に検索頻度の高い資料は左側に、検索度数の少ない資料は右側に移ります。
   教授は、資料の分類・整理・保管の技法に時間を費やすより、必要に応じて素早く取り出せる方法を実施するのが先決だ、と判断したのでしょう。そうして、時系列的な記憶が意外に役立つではないか? と結論したのだと思います。蛇足を云えば、殆ど利用されない資料は右端に集まるので、廃棄の対象になり得ます。

 

「 " 脱工業化社会 " 以後の論調 」。

        1962年に米国の  " Daniel Bell "  が  " Post Indusrial Society "  を著し、世界のビジネズマンの話題になりました。その要旨は、人類社会は、 ① 伝統社会、②産業社会、を経て ③脱工業社会に移行しつつ有り、生活形態も価値観も大きく変わる、という事でした。換言すれば、財物の生産から高度情報サービスに重点が移行する、という内容です。
    教授は、そのような社会では、知識階層が増加し、企業運営には経済効率以外の諸要因への配慮が必要になると主張しました。ただし、具体的なグランド・デザインの明示は無かったと、記憶しています。

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   1980年に米国の " Alvin Tofuler "   は、 " The Third Wave "   を発表しました。教授は、人類の社会の進化は、" 狩猟・採取の時代"  から、① 農業革命の時代、② 産業革命の時代、という社会形態を経て、今や ③ 情報革命の時代、に移行しつつある、と説きました。そうして変化のインパクトを  " 波 "  に例えたのです。老生の記憶の限りでは、近未来の社会では、この第三の波に上手く乗れる人、波に押し流される人、と二極化されると警告していたように思います。

   1985年に、" 堺屋太一 "   は  " 知価革命 "   を著しました。この書は、" 第三の波 "   を敷衍した上で  " 知価 "   という概念を創出・強調しました。それまでは、" 情報化 "  或いは  " 情報社会 "   というコトバが氾濫していましたが、その内容について明解に説いた方は少なかったようです。コンピューターおよび電気通信の技術の進歩により、高度で複雑な情報が瞬時に世界に伝わる社会、という認識は有っても、それで社会・文化がどのように変化するかに就いての試論の展開は乏しかったのです。
   堺屋 氏 は、知識・知恵の価値を  " 知価 "   と称し、これが経済社会に大きな要素となると主張しました。コンピューターの  " ソフトウエア "  などは、典型的な例です。ハードウエアの処理速度や記憶容量が如何に優れていても、適切な基本ソフト・応用ソフトが無ければ役に立ちません。

         堺屋 氏 が提唱した頃、殆どの読者は 「 そんなモノか 」 と云う 程度の感じだったようです。しかし、2000年代に入り米国の  " GAFA "   の躍進は著しく、その総資産は在来の世界的大企業を超えると云われル程に急成長した現実を見せつけられて人々は  " 知価 "  の威力を痛感しました。

   " Apple "  は, パソコン・メーカーからのスタートでしたが、当初から OS に特長が有り、画像処理に強いとされました。今はスマート・フオンで著名ですが、部品は海外から調達し、製造も海外に委託しています。同社は設計だけを行なって高収益を得ています、設計方針の策定が即ち知価そのものです。
   " Amazon "   は, 通信販売の企業です。情報・通信の技法を巧みに駆使して、在来の通販企業に比して効率を高める事に成功しました。米国では通販会社が発達していて、プレハブ住宅から ヨット・自家用飛行機 までも扱っていたそうですが、その中で同社が急成長して世界の名を成したのは、" IT "  を巧みに活用したのでしょう。
         " Google "   は, 情報検索 の 分野で世界に君臨しました。ある都市伝説によれば、日本でも同様の着想があったけれども、" 知的所有権 "  についてのトラブルを懸念するあまり、支援・推進する動きが鈍くて、実現に至らなかった、との説があるそうです。
   " Facebook "  は大学生のグループ参加者名簿的な発想からスタートしたようです。これも初期には、" プライバシー "   を懸念する意見が有ったようですが、それを超えるメリットが期待されて、巨大企業に成長しました。

   なお、別の論客は、" 知価  "   に該当するコトバとして  " 情報価値 "   という語を使い、その例として、" ボールペン "   の価格を挙げました。店頭には、100円程度から1000円のモノ、さらには10000円を超す品が並んでいます。しかしながら、筆記用具としての機能は殆ど変わりません。差が有るとすれば、そのデザイン・ブランドでしょう。或いは書き心地、書き味などの拘る方も居られるかもしれませんが、往昔の   " 万年筆 "   ほどには、低価格品と高価格品の差は見出せないと思います。
   それでも、かなりの価格差があるのは、購入者がそのデザイン・ブランドに価値を認める人々が一定数は存在するからでしょう。当の論者は  " 情報価値 "  と称しましたが、堺屋 氏の説く " 知価 "  と同一でしょう。

                       < 以 上 >

 

 

   

 

   

 

 

 

 

 

              

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